本来、人々の生活は自然の障害によって隔てられることが多い。そのため、人種・民族・言語の境界は河川・海洋・分水嶺などと一致することが多い。極端に言えば、川筋によって用いられる「言語」が違うのである。「言語の分水嶺」の例としては、世界的に見るとピレネー山脈・ヒマラヤ山脈などがある。このことは、方言に関しても程度の差こそあれ、同じことがいえる。国内的には、フォッサマグナで日本の方言は二分できる。
また、新しい「ことば」はその時代の文化中心地地域から、同心円状に広がることが多く(平均で一年間に約1kmの速度であったと考えられている)、山や川など人々の往来の障害となるものにより、ある特定地域にだけ残存し、定着し、歴史に耐えた単語・用法が方言として残ることが多い。こうした場合、同じ事象を指し示す単語が複数存在することがあるが、この場合、単語により用法を分担することになる。たとえば、「ハガジ」という単語がこの地方では「ムカデ」を意味する語として用いられていたと考えられる。のちに「ムカデ」という単語が入ってきたため、「ハガジ」と「ムカデ」では、微妙なニュアンスの差が出てきたと考えられる。同様のことが、「セーバン」と「まな板」に関しても言える。しかしながら、この場合、現在「セーバン」は使われる頻度が極端に低い単語となってしまい、意味の分担はなくなった。「セーバン」は野菜用、「まな板」は魚介類用の”まな板”を指し示していたと考えられる。
野栄町の方言の中にも古語辞典には用例があるが、国語辞典には載っていない言葉も多い。この地方の方言になかには近世に用いられ始めたものが多くある。また、カ変動詞など活用が通常とは異なることもある。
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