八日市場の名所・旧跡

黄門桜
飯高にある。水戸黄門が来た時に植えたらしい。樹齢と年代に誤差はないらしい。この時、西村晃?は飯高の或農家の年貢の利率を上げて、かわりに葵のご紋入り金の文鎮を置いて、お帰りになったそうな。
飯高檀林
言わずもがな。
丸木舟
八日市場二中の池の中。縄文時代の舟。線路付近で出土。須賀小の池にも密かにしまってあるらしいです。
九十九里ホームとあかしあ幼稚園のところって、小高くなってますね。あれって、数千年前、現在の線路のあたりが海岸線だった頃にできた砂丘らしい。線路は通常、等高線と並行に作るので、納得のいく話です。

同じような感じで八日市場駅から東照宮への道って上り坂になってます。あれって砂地なんじゃないのかな?八重垣神社の山は流石に砂地ではないと思うけど。どうかな?砂丘なのかもしれない。砂地だからこそ、田圃や畑にならずに、神社やお寺(元学校)になったのかも。蓮田があるってことは、沼があって泥地もあったんでしょう。

いたるところにある地層
砂地の地層には貝が砂化したものが埋まっています。すぐに壊れますが。
遺跡
飯塚に確か弥生時代の住居跡があったはず。保存すりゃいいのに。僕も見たかったよ。
匝瑳氏
千葉氏の出。今の匝瑳高校に住んでた人。飯高さんはその新宅。

その他、近所の名所・旧跡

椿の海
もうない。ナントカノミコト?の足跡だといわれていた。八郎潟チックな話ですね。誰の足跡か知っている方がいらっしゃいましたら、メールをください。
320年前までは、浅く広い「椿の海」という湖であった。要は潟湖だね。広さは、東西12km、南6km、周42km。干拓後、干潟八万石(八万石はうそだろ)と呼ばれるようになった。琴田は湖が新田になった時に、あぜ道が13本あって、これが、琴の弦の数と同じであったことから琴田となったそうな。風流だねー。
キーワード:鉄牛
新川とか栗山川とか九十九里浜の川はみんなそうだけど、上流から見ると、突如右流してる。あれは、沿岸流の影響でなるんだけど、そのまま海退がすすむと、潟湖になるんだな。このへんの海岸の近くって、いっぱい沼があるでしょ。あれはみんな同じ成因。

おそらく、この辺は沼だらけだったことでしょう。航空写真で見ると、集落が海岸線にほぼ平行に並んでいるのは、このためではないでしょうか。(もと沼のところって、いい水出ないんじゃないかな?)

香取神宮・鹿島神宮
  鹿島神宮は皇紀元年(紀元前660年)の創建と伝えられ 東国三社の一つにも数えられている名社。祭神は香取神宮の経津主神(フツヌシノカミ)とともに、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれるタケミカヅチノカミ。 武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受け、さらに鎌倉期以降は武家政権の信仰をも得て、社殿・楼門・宝物 類の奉納や所領寄進が繰り返されてきました。 80以上もある年中行事の中では祭頭祭、神幸祭、また、12年に1度午年ごとに行われる御船祭が特に有名です。「鹿島立ち」という言葉もあるように、鹿島神宮は、防人に出かける時によく立ち寄っていったらしいです。祭頭祭(さいとうさい)がそれを現代に伝える祭りです。
   天孫降臨時に国を譲ったということは、この辺りは朝廷以外の治める地で、フツヌシノカミとタケミカヅチノカミがこの地方を治めていたのでしょうか。両方とも式年遷宮があるということは、菅原孝標の女(むすめ)が更科日記で言ったように「東路のはてよりもなほ奥つかた」にあるとは言え、中央にとって東国を治める際に非常に大事なとこだったのでしょうね。
飯岡の灯台
ここの夜景はすごいです。ランドマークタワーに勝るとも劣らない、と僕は勝手に思っています。地球が球形だということを思い出させてくれます。但し、急斜面があるので、落ちたらヤバイということで、地球には重力があることも実感できます。
銚子電鉄
TOKIOが乾電池で走らせた電車があります。2両しかないのに正面衝突しないでね。

いので、正面衝突はやめてね。

 
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